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人麿の妻、依羅娘女(よさみのおとめ)は夫の訃報に接し、次の二首を残しています。
直の逢ひは逢ひかつましじ石川に雲立ち渡れ見つつ偲はむ
(ただのあいはあいかつましじいしかわにくもたちわたれみつつしのばむ)
じかにお逢いしようと思っても無理でしょう。雲よ石川一帯に立ち渡れ、
せめてその雲をみてあのお方をお偲びしましょう
茂吉はこの歌の石川は雲立ち渡れからかなりの大河と想定しました。石見で大河といえば江川しかありません。
幸いにして江川流域から昔江川を石川とよんだ文書が見つかり、又江川沿岸の川本町は昔、石川邑と称されていたことが分かました。
今日今日と我待つ君は石川の貝に交りてありといはずやも
(きょうきょうとわがまつきみはいしかわの
かいにまじりてありといわずやも)
この歌の貝は字の通り貝とする学者もありますが、茂吉は谷をカイと読む例や貝を峡谷の意に使った地名が江川沿岸にあることから、貝を峡谷としたのでした。 つまり歌の意味を今日は今日はとお待ちしているあなたは石川の峡谷の中にいるというではありませんかと解釈したのでした。
「江川沿岸で貝を峡の意に使った地名 貝谷、貝詰、貝詰門、地貝谷、貝の平岩」
こうして、茂吉の漠然とした視野は江川沿岸の山峡に限局されたのでした。
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