昭和9年7月茂吉は江川上流の邑智郡邑智町浜原、粕淵を訪れました。というのは、この江川対岸に亀というところがあり発音が鴨に似ていたからでした。土地の名が長い年月の間に似た発音に変わる例が数多くあるからでした。しかし、この時、江川は濁流のため亀に渡ることは出来ませんでした。
いつしかも 心はげみて 沢谷村、粕淵村を 2日歩きつ
江川 濁り流るる岸にいて 上つ代(かみつよ)のことしきりに偲ぶ
浜原、粕淵周辺
雨の中を2日間浜原周辺を踏査した茂吉は人麿の心に誘(いざな)われたのでしょうか。浜田の国府址を訪ね、人麿と妻依羅娘女を祀る江津の柿本神社に詣で、又人麿が妻への激しい恋情を歌った高角山に登り、その夜は有福のいで湯に旅の疲れをいやし、次の歌を詠んでいます。
下府(しもこう)より上府(かみこう)にわたる平(たいら)には稲あをあをし国府の址ぞ
有福のいで湯浴みつつ人麿の妻の娘女(おとめ)の年をぞ思ふ
人麿の死をおもひて夜もすがら我はいたりき現(うつつ)のごとく
川の音のたゆるまなきに鴨山のことを思ひて我はねむれず
夢のごとき鴨山恋ひて我は来ぬ誰も見知らぬその鴨山を
そして、再び浜原に戻りましたが江川の濁流はいまだやまず、ついに亀に渡るのは断念したのものの、この踏査で対岸の津目山(つのめやま)を鴨山だろうと検討をつけたのでした。
雨をほき旅なりしかば江川水かさまさりて亀に渡らず
対岸が津目山
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